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2004年11月06日

白痴より

最近ドストエフスキーの白痴を読んでいる。(今年になってから世界の名作月間が続いている。)タイトルからしてシリアスな悲劇的な話を想像していたのだが、全くそんなことなかった。主人公が白痴といわれるほど単純でお人よしなのでこのタイトルがついているらしい。
今日読んだところにこんな話が。主人公のムイシュキン公爵は神経の病気の発作のせいで白痴同然の状態でスイスに病気療養に行き、4年をすごした後にロシアに帰ってくる。その療養生活時代に現地の子供たちと仲良くなった。それを回想する場面での話。

一般の大人が子供を理解しないのはもちろん、両親でさえ自分の子供をろくろく知らないのだと考えると、ぼくはいつも不思議でたまりません。まだ年がゆかぬからとか、まだ時期が早いからといって、子供に物を隠す必要はちっともありません。そんなことはじつに悲しむべき不幸な考えかたです!子供ってものはなんでもわかるのに、親は子供をなんにもわからぬ、ほんの赤ん坊あつかいにしているのを、じつによく心得ています。どんな小さな子供でもきわめて困難な事件に対して、驚くほどりっばな忠告を与えうるものだってことを、大人は夢にも知らずにいるのです。

すごく同感である。
子供は言葉が話せないから何も考えられないんだ、とかぼくらの話していることなんかどうせわからないんだ、なんてことは、絶対ないと思う。そんなことは親の勝手な思い込みで、子供はたいていのことは理解していて、特に大人(親)の心の動きは手に取るようにわかっているんじゃないだろうか。そして、自分も活発に心を動かしているに違いない。ただ、言語と言うコード体系をよく知らないので充分な表現ができず、コミュニケーションが難しいだけなんだと思う。

ムイシュキン公爵はさらに、現地の教師について言及する。

はじめのうちは、子供たちがぼくのいうことをなんでもよく聞きわけるのに、先生のいうことがいっこうにわからないのを不思議がって、しきりに首をひねっていましたが、その後、ぼくがこの人に向かって、われわれはおたがいになにひとつ子供らに教えることなんかできない、かえって子供らに教えられるのだといったら、先生はそれからぼくをばかにしだしました。

いやいや先生、公爵の方が正しいと思いますよ。
私などは子供が生まれて以来、ずーっと毎日教えられっぱなしです。

投稿者 zen : 2004年11月06日 00:44

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