« 2007年03月 | メイン | 2007年05月 »
2007年04月25日
ライブ告知 : Ink Tree @代官山 5/10(木)
Ink Treeで代官山「晴れたら空に豆まいて」に出演します。
2007年5月10日
皐月日和〜さつきびより〜
【出演】半澤智子 廣島リマ サボテンブラザーズ Ink Tree
【料金】前売 2000円 当日 2500円(共にドリンク代別)
OPEN 18:30 START 19:00
どうぞよろしく!
Google Calendarに入れてみました。今後のスケジュールはこちらにも入れて行きます。
Powered by ScribeFire.
投稿者 zen : 15:10 | コメント (0) | トラックバック
Web*だけじゃないよね*2.0
つい1年ほど前に、Web2.0というタイトルのついた本を読んだ。
その時にも思った事だけど、ああ、同時多発的な現象がここ(サイバースペース)でも起きてるなあ、という感覚があった。
その現象のことをうまくいい表す言葉が見つからないままに1年すぎた。
自分が世間知らずなだけで、どこかの評論家とかジャーナリストがそれらしい言葉を考えだしてるのかもしれないけど、自分はうまく言い表せない。
たぶんもっと前からその流れは確実にあって、きっと(それに気づいたりコミットした人数なのか、アクティビティの数なのかわからないけど)何かがひとつの臨界点を超えて、それがいろんなところで発現しているのだろうなあ、と想像している。
ちょうど1年ほど前はその「現象」を、自分のアタマの中では「20世紀的○○vs21世紀的○○」という対立軸で捉えていた。○○の中には「人間」「思考」「組織」「行動規範」「指標」「生活」などの言葉が入るように思う。でもそれは今だからそう思うのであって、そのころ漠然と考えていた「20世紀的」vs「21世紀的」って、こんなこと。
- 官僚的なお役所仕事vs自発的コラボレーション
- 権利独占vs オープンソース
- 上意下達vs目的指向
- 機械中心vs人間中心
- カタログスペック向上のための技術vs使い手のための技術
- 利益至上主義vs社会への貢献
- 競争vs協調
- オレがやったvsみんなでできた
- 限りない成長vs持続可能な成長
- 機能中心vsユーザー中心
- 自分だけの利益vs全体の利益
- 経済指標vs楽しさ
- カッコつけvs本質的な美
- 完成すれば終わりvs未完成だけど継続
Webの世界ではこの対立の構図は実にわかりやすい形で表われているように思う。
Web2.0と呼ばれる世代のサイトは、それ以前に比べて格段に情報を伝えやすくなっている。そして、そこにある情報を知りたいと思っている人に格段に 届きやすくなっている。そして、発信者が望めば、同じような考えやし好を持つ人と横につながる事が、以前より遥かに簡単に可能になっている。この結果、新しい世 代のサイトは情報提供主体の「存在するかたち」を本体にかなり忠実に表現してしまう。
これは、良い方向に進めばリアル世界の「良いこと」のスパイラルを加速するだろうし、間違った使い方をすれば、情報発信の主体が立ち直れないほどのダメージを簡単に与えることも可能なことを意味するのでは、と思う。「21世紀的」現象の表われのひとつがWeb2.0なのだとしたら、その背景にある流れを考えずに、「20世紀的」な考え方で扱おうとしても、うまくいかないのではないだろうか。
ウェブだって生きて行くための道具のひとつなのだから、何も過剰にコミットする必要なんてない。ただ、こんなことが起きているということは少しは知っておいた方がいいのかもしれない。そのうえで関わり方を考えればいいのだから。
現実世界でもWebでも、ある視点にたって「気づく」ことができればこの対立はとてもわかりやすいものだと思う。Webだったら、標準を指向しているかどうか、ユーザーを中心に考えているかどうか、というのがひとつの視点。現実世界では、話や文章の中にどちらを指向する言葉が出てくるかを意識すれば、自ずとわかるように思う。
このトピックについてはときどきこうして書いてみようと思う。
自分はよき21世紀人(仮称)になりたいと思っている。その始まりは、決して人は自分だけで生きているのではないということを、明確に意識するということでもあると思う。
もしかしたらそんなことを思う人が他にもいるかもしれない。というシンクロニシティへの淡い期待もこめて。
Powered by ScribeFire.
投稿者 zen : 02:12 | コメント (0) | トラックバック
2007年04月19日
騒音をまき散らす候補者には投票しないことにします
統一地方選挙の期間に入り、街には選挙カーによるお願いコールがあふれています。
繁華街だけでなく、住宅街でも同様です。
この期間が私には、大変憂鬱です。
仕事をしている最中であれば、否応無しに思考が妨げられます。
音楽を聴いている最中であれば、作品と関係のない雑音が音楽空間を破壊します。
都市部の地方選挙では、狭い地域の中にたくさんの有権者がいるので、どうしてもこの騒音に遭遇する機会が多くなります。
限られた時間の中でより多くの人に対して認知してもらうため候補者の方々が必死になるのはよくわかります。
しかし、都市部の住宅街の有権者にリーチする方法として、本当に有効なのかは疑問があります。私のように「騒音による日常生活の侵害」と捉える人も、少なからずいるのではないでしょうか。
駅前など人の集まるところで時間を決めて演説をするのは一向に構いません。
公開討論会もどんどんやるべきです。
でも、「選挙だから」「法で保障された活動だから」という理由で、場を考えない自己主張がまかり通る、今はそんな時代ではないのではないかと思います。
だから、これからは、「場を考える良識」を持った候補者に投票しようと思います。
声高に「子ども」「福祉」とがなり立てることが、「本当にサポートやケアが必要な人」から静寂を奪っている、ということに候補者は気づいて然るべきだと思います。本当に子どものことや福祉のことを考えていたら、騒音で他人の生活に土足で踏み込むようなことはできないのではありませんか?
そんなことを思う一日でありました。
Powered by ScribeFire.